こどもに歯が生え、いろんな物が食べられるようになってくると子供の成長を感じ嬉しくなります。こどもの日には自分が子供の頃、親から縁起が良いからと食べさせてくれた、ちまきを作って家族で食べよう!
そう旦那さんに提案をしたら『何言ってるの?こどもの日に食べるのは柏餅でしょ?』って言ってきたんです。 「は?ちがうでしょ!ちまきでしょ!!」とお互い譲りません・・・。いったいどっちが正解なの!?
そんなあなたの疑問にお答えします!
目次
こどもの日に食べるのってちまきか柏餅のどっちが正解?
関西・関東によって違う
関西では一般的にちまきを食べ、関東では柏餅を食べます。もしくは両方食べるという家庭もあります。
◆関西ではちまき
関西でちまきを食べる習慣になったのは中国から伝えられたのが始まりと言われています。
他にも近畿圏・四国地方などの西側では、柏の木があまり自生していないことも要因のひとつと言われています。
ちなみに現代のちまきが生まれたのは京都で、京菓子のひとつとしてこどもの日に食べるものとして広まっていきました。
◆関東では柏餅
次章で詳細はお伝えしますが、柏餅は元々、東日本の文化の中で育まれたものです。
柏餅が広まりだしたのは江戸時代、徳川家九代将軍の家重から十代将軍の家治の頃と言われています。
◆両方食べる家庭
あなたのご両親、そのまたご両親、そのまたご両親とさかのぼっていけば、 関東出身の女性の方と関西出身の男性の方が結婚したらどうでしょう。
「あれ?ちまきなの?柏餅じゃなかったんだ。まあいいや、縁起物だし両方食べましょ♪」 というのが習慣になれば、その子供も同じように両方食べるのが当たり前になります。
ちなみに私の家では両方食べていました。
こどもの日に食べるようになったちまきの由来って?
次に、ちまきと柏餅を食べるようになった由来についてお話します。
◆ちまきを食べるようになった由来
むかしむかし、中国の詩人であり政治家であった屈原(くつげん)という人物がいました。 正義感と愛国心が強く人々から尊敬され愛されていましたが、それをよく思わない組織の陰謀により、政治家の地位を失ってしまうことになってしまったのです。
このことに失望した屈原は5月5日に汨羅江(べきらこう)というところで川に身を投げてしまったのです。
死を悲しんだ民たちが弔いの意味も込めて、魚が川に沈んだ屈原の亡骸を食べて傷つけないようと、魚に米の飯を食べさせるため、茅萱(ちがや)の葉で包んだもち米を川に投げ入れたのが始まりといわれています。
ちまきが中国から日本に伝えられ、日本でも端午の節句に食べるようになったのです。
◆柏餅を食べるようになった由来
前章でもお話しましたが、柏餅が広がりだしたのは江戸時代、徳川家九代将軍の家重から十代将軍の家治の頃と言われています。
将軍家といえば、家系を絶やさず、子孫繁栄を願うことはとても大切であり、その縁起をかつぐために柏餅を端午の節句に食べるようになったのが由来です。さらに、三代将軍の家光から続いていた参勤交代は九代将軍の頃も続いており、各地にその習慣が広まったとも言われています。
こどもの日に食べるようになったちまきの意味って?
ちまき・柏餅それぞれどのような縁起を意味しているのか?についてお話します。
◆ちまちを食べることの縁起
茅萱(ちがや)の葉で包んだもち米がちまきの始まりですが、茅萱(ちがや)の葉には魔よけの効果があるとされ、 厄除けや無病息災を願う意味があり、縁起物として受け継がれてきたのです。
◆柏餅を食べることの縁起
柏の葉は、新しい芽が育つまで古い葉が落ちないということから、 「家系が途切れない」子孫繁栄の意味を込めて徳川家が縁起をかつぎ柏餅を作り食べるようになったのです。
◆余談ですが
そういえば動揺【背くらべ】で、ちまき食べ食べ~♪と歌っています。歌われたのは富士山の見えるところでの歌なので、関西ということはないように思うのですが不思議だな~と、ふと思いました。
まとめ
ちまきと柏餅と意見が分かれたときはお互いの風習を尊重し、両方とも食べるようにしてはいかがでしょうか。
子供が少し大きくなってきたら、ちまきにはこんな意味があるんだよ!とお話してあげることも食育のひとつになりますよ。
縁起を意識し、その縁起が食べることで身体の中に入っていく!と願えば、味もさらに美味しく感じるのではないでしょうか。
それでは和やかで素敵なこどもの日になさってくださいませ!
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